TOP品種リストへO&Aコニファー教室注文書


 はじめに....
栃木のひなびた山の中でコニファーを専門に生産をしている農家です。
風が吹けば飛ぶような小さな、小さな、ナーセリーでもあります、家族4人と、数名のパートさんで仲むつまじく細々と生計を営んでいます。
コニファーの生産には絶大な自信があっても、サイトの管理運営やら、事務処理等に付いては不備が山積した花工房でもあります、まして管理責任者は46年生まれの老体、当然記憶力にも限界があり、ミスも連発します。
大型店のかゆい処に手の届くような対応は出来ませんが、イキの良いコニファーの提供と、後々の相談にはコニファーの専門店として、「かゆい処に手の届くような対応」を心掛けたいと肝に銘じております。これらの条件を勘案してお取り引きを願えたら幸いです。

は植物が大好きです、こよなく愛しています。自分の子と、どっちが可愛いって問われたら、間違いなく「植物」と答えるでしょう。言葉を持たない植物ではありますが、春には綺麗な花が咲き、やがて新緑そして夏の木陰、秋には美しい実と紅葉、そして冬には春を待つ冬芽の美しさ。植物が日々語りかけています。そんな環境が花工房なのです


初は素晴らしい雑木林でした、開墾され、果樹を植えやがて水田となり今は園芸店へと変遷を遂げて来ました。600坪の敷地には沢山の植物が並んでおります花工房の経営理念は、公務員並の給料と、年金の確保が出来たら、後はお客さんに楽しんでいただく、それが経営理念です

植物、花の観賞を始め、植物のスケッチ、写真撮影等自然の中で十分に楽しんでいただきたいのです、近くに小河川があり魚釣りも出来ます、夏にはホタルも飛び交えます、当然トンボ、蝉達も元気に活動をしている所なのです花工房は、妻が山野草部門、私がコニファ−と樹木担当、娘達が造園と売店の管理、ハ−ブ、草花全般を担当しており、他店では扱わない
植物と種類の多さに驚かれる事でしょう。

マナ−さえきちんと守っていただけるのでしたら500坪ある農場の隅から隅までご自由に見られてかまいません。情報社会の中で疲れた目は、自然の緑によって十分な休養とリフレッシュが何よりとでその為に少しでもお役に立てたら何よりと家族全員がそう思って毎日頑張って働いております顔なじみのお客様には、時によりコ−ヒ−のサ−ビスもあり、自然の中での1杯のコーヒ−はまた格別な味をお約束致します

             ■  ■  花工房の生い立ち  ■  ■   

S21年、農家の五代目として栃木県宇都宮市に誕生        
まれながらの病弱と、農家の長男として祖父母に溺愛されながら育った経緯から体をあまり動かさない植物への関心が形成された時期。祖母は私が小学生になるまで私を負ぶって連れだしたと大きくなって聞かされ、やはりショックでした、農家とは言い、当然食料事情の最も悪い時期に生まれた訳ですから当然食べ物がなく、サツマイモから作った水飴と、うどんで育てられたそうで、そのせいかやはりうどんは大好物です。


S30〜35年頃 中学生の頃から園芸に関心を持つ
圃の土手に生えているノバラの種を播いて台木を育て接ぎ木を覚え始めた時期。勿論水田地帯ですので近くに見本となる処など無く知識は全て園芸書頼りで覚えました。とにかく新しい世界を知る喜びと、好奇心とで夢一杯の時期でした。
農業高校へ入るまでは、家業である農作業は一切手伝った事がなかったのです、高校の田植実習で始めて田植の体験をすると言った、農家の子供としては信じられない育ち方をしました、当時農業機械がほとんどなかった時代ですので、それは大変な事だったろうと思います、とにかく、両親は手伝わせたくても体が心配で使えなかったのだろうと思います。
中学時代進学校の話が出る時期には同級生から、「おまえは農業は出来ないだろう」と、言われた事が記憶にまだ新しいのです、それほどひ弱な子供だったのですね。
このことは後の農業高校の先生が語っています、「入学当時はひ弱な感じで大変心配していたが、2学期に入ったら見違えるほどたくましくなった」と父母に話されたそうです。実は、20q以上ある学校まで毎日1時間以上かけて、汗でビショビショになりながらの通学をしていたのです、この通学が後の為に大変良かったのでしょう、この通学トレ−ニングがなければ花工房は存在をしなかったかも知れません。


S40年頃 いろいろな植物と出会う時期              
ろいろな植物へ関心が向き、かつそれを育てた事により植物全般に対して、基本的な事が理解出来た頃。その中でも市場出荷した作物は夏菊アスタ−.葉鶏頭.カリフラワ−.桃程度でしたが、果樹、野菜、米、花と、全てのジャンルの植物について一応は理解が出来、栽培は勿論土壌肥料、農薬等全ての事に対して幅広く勉強をしてきた結果、植物なら何でもOKの基礎部分が育った時期


S45年頃 結婚、父から稲作の経営全てを任される
業である米作りを任させる。米が最も良い時代、開田ブ−ム真っ盛りの時代でもありました、父の米作りは地区平均以下、頭脳は私よりはるか上でしたが植物の栽培は出来ない人でした、46年減反が始まりましたが、私は地区平均よりはるかに増収してました、多分上位だったろうと思います。
確かに米作りは高収入をもたらしました、6ヘクタ−ルの自作地があり、栃木県でも上位の経営面積でした、また当然我が家でも潤った時代です、しかし、1年こっきりの作物には何故か夢がないのです、成長の楽しみ、喜びがないのです、翌年が無いのです「米作りは生活の手段、目的は園芸植物」これが当時私が毎日思っていたこと。

S55頃 栃木県大サツキブ−ム到来
聞で「銭の花」と騒がれ、サツキの話が出ない日は無いくらい何処の家にもサツキの鉢が数鉢は必ずありました、挿し木苗1箱20万とか30万とか相場が付いた時代、全くのキチガイの時代でした、私はサツキには目もくれなくて、シャクナゲに全勢力を傾注していた時代でもあります。


S60年代 減反が一段と強化された時代
の時代でもやはり米は有利な作物でした、我が家では次第に花木の売り上げが伸び、本業の米収入に近づき、やがて花木の売り上げが飛躍的に伸びていった時代でもあり、まさにバブルの時代でした。


H5年頃 長女の造園勉強と、現場経験と結婚
女が造園学を2年学び、造園設計、貸し鉢&デスプレ−の仕事、切り花対面販売と経験を積み、農家の6代目としての不安定な時期から結婚へと、我が家では今まで経験をした事がない激動の一時期でした。若夫婦の希望と、私達夫婦も自分の売店への憧れとで、平成9年春に今の花工房をオ−プンして、現在に至っています。


            花工房とは...植物の専門家です 
工房は植物の専門家です、植物の言葉も解りかけて来ています.....? 上記の生い立ちからもご理解いただけたとは思いますが、植物の特性は勿論、土壌肥料、農薬等植物の栽培に必要な全ての条件をクリア−して、尚かつあらゆるジャンルの植物にも精通しているばかりでなく、花工房最大の魅力は、同じ敷地で植物を生産をしている事なのです、これはナ−セリ−型売店(農場隣接型)でしか出来ない事なのです。
常に「イキイキ」した植物のみを販売品としております。新しい植物、珍しい植物、手入れの要らない優れた植物、全てが花工房で生育テストをしてこの植物ならお客様に提示しても絶対満足していただける植物だけを取り扱っています。
客様の希望であり、人気樹木でも場所によっては絶対にお勧め致しません、....何故なら.....花工房は植物の生理を全て知り尽くしているからです、大変な自信を持って取り組んでいるのです。


             コニファ−との関わり   
51年に埼玉の植木業者が輸入を開始、雑誌の紹介でコニファ−の苗を始めて購入、この時の苗が今、花工房自慢のコニカの親です、ブル−スタ−もそうです、プンゲンスト−ヒ−の親もそうです、今から23年前のお話です。
時代を先取りした植物の生産は、必ずしもタイミングが合わず、大流行した「アメリカハナミズキ」ですら、初期の頃はいくら素晴らしい木ですよ...と説明してもだれ一人として関心を向けていただけませんでした、流行とはそう言う物なのかも知れません、生産をやめたら急激に人気が出て、現在でも続いています。
コニファ−はこれだけ素晴らしい樹木であるので将来必ず人気が出るだろうととは信じていましたが、これほどまでに人気が出るとは想像出来なかったのです、当然品薄になり価格も跳ね上がります、また欲しい品種が手に入らず悔しい思いもおかけしていると思います、雑誌、書籍等のカラ−写真に沢山の品種が紹介されておりますが、この品種全てが手に入る訳でもなく、また写真の様な大きなサイズがあるわけでも無いのです、近い将来入手可能にはなるでしょうが、生産者は今売れる品種しか生産をしません、何時売れるのかわからない品種は生産をしないのです。また売れるからと言って生産を開始しても3〜6年後ににらないと流通に乗らないのです。この様な生産者の苦労もご理解いただけたらなによりです。
ワンダ−ガ−デン 花工房
栃木県宇都宮市石那田町桑原1467-1
E-mail hana@hanacobo.com